2009年5月31日日曜日

ヒマつぶしについて

お見舞いに来てくれた人の多くが「ヒマやろ」と言います。確かに一日が長いしすぎてみれば早いです。で、今していることはiPhoneで時間を使っています。主な利用法は音楽を聴くこと。iPodの機能を使う以外にもアプリを使って聴くことができます。ベストクラッシック100というアプリですが、これはランダムにクラッシック音楽を再生してくれるアプリでのんびりと目を閉じて点滴を受けながら聴いたりしてます。
次にインターネットに接続していること。今もそうですがiPhoneのブラウザ(サファリ)からこのブログを書いています。他にメールチェックやゲームをし時間をつぶしてます。しかし、iPhoneの一番の利用法は時計アプリかもしれません。LCDクロックやNHK時計というアプリを使って置き時計的に使ってます。
看護婦さんの中で「それ、指でするやつでしょ?」と聞いた人がいます。思わずiPhoneを宣伝してしまいました。

2009年5月30日土曜日

経過報告

そろそろ二週間がたちます。この二週間を振り返ってみます。
5/17:陸上教室の練習中にふくらはぎをいためる。肉離れくらいしたかもと思ったが、アキレス腱は完全に切れていた。
5/19:上司と相談、2ヵ月の病休を取ることにする。シャワーを浴びる。膝をうまく曲げられないので、パンツがはけない。看護婦さんにパンツを足に通してもらいました。
5/20:手術を行う。後日写真を見せてもらうとアキレス腱上部のふくらはぎに近い部分が完全に切れていた。
5/21:朝(夜中)管を抜いてもらう。自力でトイレにいけるが管を入れていた所が痛い。
5/22:身体を拭いてもらう。気持ちが良い。ブログを始める。
5/23:トイレに行った時の尿道の痛みがほぼなくなる。
5/24:隣のIさんに足の写真を撮ってもらう。傷口がやっと分かった。点滴が終わる。
5/25:Sさんが退院。日生の担当者と保険請求の手続きの話をする。傷口はあまり痛まない。薬を塗るのがひんやりとして気持ちが良い。シャワーを浴びる。
5/26:採血(血液検査)を行う。
5/27:Iさん退院。一人になったのもつかの間で隣の部屋に引越し。保護者会と六年生が見舞いにきてくれる。シャワーを浴びる。
5/28:ベットのシーツをかえる。リハビリが始まる。病院の避難訓練があった。
5/29:シャワーを浴びる。一人でパンツをはける。
5/30:同室のTさん退院。入れ替わって一人部屋にいた男性が引越してきました。

2009年5月29日金曜日

リハビリ開始

昨日からリハビリが開始されました。と言っても、まだギブスはついたままなので、機能回復というよりも筋力維持のためのトレーニングです。最初に指先のマッサージ、その後横になって足を前後に揺する運動、さらに座った状態からのひざ伸ばし、それぞれ1.5〜2kgの負荷をかけて行いました。軽く汗をかいたくらいで初日のメニューは終わりました。10日ほど食っちゃ寝の生活をしているのでちょっとだけダルかったです。この後病院では避難訓練がありました。従業員だけで我々は参加させてもらえませんでした。そんな忙しさもあって、汗をかいたのでシャワーを浴びたいという私の意見はキャンセルされてしまいました。独歩できるかたは自由に風呂に入ってるのですが私は介助付きのシャワーなのでしょうがありません。もっとも、私の介助は足にビニール袋を巻くのくらいなのですがね。
さて、今日のメニューはどんなでしょう。今日はシャワーは浴びるぞー。

2009年5月28日木曜日

いいですね~その3

昨日は平日にもかかわらず、御見舞いの多い一日でした。昼音楽を聴きながらボケ~っとしていると何やら小学生の声が聞こえてきます。おやっと思ったら、陸上教室の六年生でした。早いので「学校は?」と聞くと修学旅行の帰りとのこと。佐賀から長崎へ行ってきたそうです。中学生だと京都、奈良方面なので延期になったかも知れなかったけど九州はまだ大丈夫そうです。吉野ケ里遺跡•平和公園•グラバー邸など見てまわったそうです。一泊二日、いいですね~ 私は三十泊ですけれども。
六年生から花、保護者会から御見舞いをいただきました。みんな先日の練習の時に、話を聞きビックリしたそうです。(何しろ最後まで指導して歩いて車も運転しているので)
その後すぐ義母が娘(3)を連れて来ました。話をしていると母も来ました。
夕方になって職場の美女が二人来てくれました。ちょっとだけ仕事のことを思い出しました。合計十一人のお見舞のあった一日でした。

2009年5月27日水曜日

いいですね~その2

今日は隣の(窓側)の男性が退院する日です。先日のおじいちゃんに続いてです。一週間の付き合いでしたが本当に退院おめでとうございます。この方が私の病室移動の時から食事のトレーを下げてくれた方です。なんのためらいも無くごく自然に「もって行きましょう」と言う言葉が出てくるのです。
話しをしていると、この方は看護士だとわかりました。住所は隣の市で勤務先はさらにふたつ向こうの市だそうです。どうも知りあいの同業者から離れて入院したようです。職業柄そうなるのか、元からの性格なのかとにかく、さり気なく普通に他人の世話ができるのが素晴らしいと感じました。
そんな彼も昨日は最後の夕食を味わって噛みしめていました。
追伸
朝10時、迎えにきた母親と共に、無事退院して行きました。三人部屋にはわたし一人が残りました。するとその後すぐに看護婦さんがきてベットを片づけたのですが、なんと私は引越しをすることになりました。この部屋は女性部屋になるそうです。
今度のメンバーは私と同じ日に手術をした男性(左手)と肋骨を手術している男性です。このメンバーは果たしてどんなものになるのでしょうか?

2009年5月26日火曜日

陸上教室のその後

日曜日(24)昼、一階の待合室で新聞を読んでいたらF氏が、お見舞いに来てくれた。F氏は先週練習を一緒にしていた陸上教室のコーチである。えらく細かいところまで気のきく方で、先週練習後も病院に行くのを勧めてくれた人です(何しろ本人は肉ばなれ程度にしか思っていなかった)。
彼曰く、スポーツ保険は子どもの分しかかけてなかったのが早速スタッフもかけるようにしたと。確かに、昔保険のことを相談したときスタッフはじっさいに走り回ってもそんなにたいしたことないと言ってかけなかったことを思い出す。で、やっちまったわけだけれども。F氏とはいたって真面目な話しをしました。
夕方になって監督のN氏が来てくれました。全国大会に向けてリレーの練習も始まったが人手が足りないとぼやいています。スタッフは五人いるのですが、諸事情により二人はこれずわたしが抜けたために、F氏とN氏だけになってしまってます。早くあたらしい人を見つけないといけないと何時もいっているN氏ですが、後継ぎが見つかっていません。
全国大会予選はすぐです。みんな練習頑張れ‼

2009年5月25日月曜日

いいですね~

入院して一週間たちました。手術後三人部屋に移ったのですが窓側にお腹、廊下側に頭、真ん中に足をそれぞれぬった三人組となりました。世の中良い人が多いですね。私は歩行機を使っているので食事のトレーなど大きなものが持てないのですが、食後にわたしのトレーを持っていってくれるのです。足が動かせないので不自由しているとわかるのでしょう。二人で争うように持っていってくれるのです。
そんな廊下側のおじいちゃんが今日退院です。頭は普通にシャンプーしても良いそうです。退院おめでとうございます。二度とよろめいてガラスにぶつからないように気をつけてください。

2009年5月24日日曜日

病院の一日

今日は日曜日、入院してから一週間がたちます。この一週間(手術後)の入院生活をふりかえってみましょう。
5:00 看護士さんの声が聞こえてくる。検温の時間
5:30 トイレ、フリータイム 朝の洗顔など
7:30 朝食、薬、回診 薬をぬって包帯の巻き直し
9:30 点滴
12:00 昼食、薬
午後からは特になくてフリータイム
18:00 夕食、薬、歯みがきなど
19:00 点滴、寝る準備
21:00 消灯
1:00〜3:00 巡回(看護士さんご苦労さまです)

とにかく朝が早い。パンフには6時起床となっているのに一時間も早い。眠い。
夜も早い。同室の二人は消灯後すぐにイビキのステレオ放送を始める。
まあ昼間に寝るしかないのだけど。
筋肉のおとろえがこの一週間であるような気がするので、ヒマな時間があれば筋トレを始めようかなと思っています。

2009年5月23日土曜日

手術しちゃいましたその2

なかなかリアルタイムの日記にならないけど、昨日に引き続き手術の様子です。
今回は、局部麻酔だったので意識はしっかりありましたが、麻酔と言っても何も感じないわけではないんですね。先生が、胸をつねって「痛いですね?」と聞く、当然痛いんですが次に腰のあたり、さらにはももとつねります。つねられているのは分かるけど痛いと感じないのですね。感覚は残っているのです。
手術中も足を持ち上げられているような感じや、足を洗っている(こすっている)感じが分かるのです。そして一度だけチクリとした痛みを感じました。切れたアキレス腱を引っ張る感じも何となく分かりました。さらには心電図のモニターをみている先生とは向かい合っていたので、「今洗っている」とか「まだ切ってないよ」など話をしながら手術を体験しました。
そうこうしている間に手術は無事に終わりました。私は横にセットされたベッドに移動しました。これで病室に帰るだけ、ではありません、最後の仕上げが待っていたのです。4人の美女(看護士)に囲まれた私のパンツはイッキにはぎ取られ下半身むき出しの状態にされました。そして右横の美女は左手で私のカラダの一部を右手にはチューブ(バルーン)を握っていました。下半身はまったく動かない状態ですが意識はしっかりあります。何も感じない私のカラダの一部にチューブは挿入されたのでした。
こうして私の手術は終わりました。

2009年5月22日金曜日

手術しちゃいました

5月20日(水)いよいよ手術の日がやって来ました。
朝起きてトイレに入りました。出ました◯◯コ。浣腸の心配はなくなりました。この日は緊張したのかこのあと二度トイレにいきました。10時から点滴を始めました。手術ようの点滴みたいです。手術中もずっと行なったままです。点滴が始まるといよいよだと緊張感が高まって来ました。
前の人が終わってから私の番です。手術は3:30からとなりました。
嫁さんと親、弟の見守る中ストレッチャーに乗せられ手術室へ向かう。まず最初に麻酔をされます。エビのようになって、と言われ背中と腰を突き出すポーズを取りました。背中に何かぬられているような感触がありました。「ちょっと痛いですよ」そういうと注射をされました。痛い!しかしこれは本物の麻酔の前の予備でした。本物はもっとも痛いのでそれを感じさせないためのものでした。こうして私の下半身は徐々に動かなくなっていきました。

手術前日

5月19日(火曜)。手術前日、上司と相談して2ヶ月の診断書(1ヵ月のギプス固定と1ヵ月のリハビリ)を提出。
この日、3日ぶりに風呂(シャワー)に入りました。左足をビニール袋でくるみビニールテープをまいて固定しました。看護婦さんはそこまでしてから気をきかせてか出て行きました。自力でパンツを脱ぎ椅子に座ってシャワーを浴びました。何気なくフロに入るが当たり前だけどそれが当たり前に出来ないことの不便さをあらためて感じました。
この日、夕食を最後に午後9時から飲食が禁止されました。さり気なく下剤が手渡されました。明日便通がなければ浣腸とのこと。確かに手術中に◯◯コまみれになりたくはないです。
手術開始予定は明日午後3時です。

やっちまった‼

5月17日(日)。いつもの様に陸上教室で小学生を相手にしているときに、悲劇は起こりました。この日は雨、いつもならグラウンドでの練習ですが体育館で様子を見ながら身体を動かすことにしました。体操をしてストレッチ、軽く動きの練習です。前半が終わりそとを見るとまだ雨です。後半は引き続き体育館でダッシュをすることにしました。「ジャンプをしてダッシュ」お手本をカッコ良く見せようとした瞬間、足首が異常なまでに縦へまがりその場に座りこんでしまいました。
ふくらはぎのしびれ、足首の痛み。座ったまま指導を続けました。その後、練習を終わった後、歩いて体育館を出て車を運転しかえりました。肉離れくらいはやったかもしれない。骨には異常はなさそう、そんなことを考えながらも病院に行きました。
病院では先生が一言「切れてますよ」わたしの闘病生活が始まりました。